とうふ先生のブログ

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継続が大きな力になることを証明したい

継続

 

 

私が大大大大大苦手なことの一つである。

 

 

 

でも、この継続に今年は向き合うと思う。

 

 

 

なぜ、こんな苦手なことに向き合うと思ったかというと、

タイトル通り、何かを続けることが大きな力となることを証明したいからである。

 

 

 

誰かに継続することのすばらしさを見せびらかしたいわけではない。ただ自分自身に証明したい。

 

 

今年の終わりには、継続することって本当にすごいなって自分で実感したい。

 

 

自分で言うのはおこがましいが、自分は行動力がある程度あると思っている。

これまで何かをしようと思いついたら、わりと行動に移してきた。やりたいことができたのは、周りに感謝だ。

 

しかし、その行動というのは長続きしないことが多い。

すぐに飽きがきて、どこかでやめてしまっていることが多い。

 

継続することはいいぞ、継続にこそ意味がある、多くの本にも書かれていることだし、多くの人に言われて気がする。

 

 

でも、なかなか継続できなかった。

 

 

 

継続が苦手なことに対して、そんなにネガティブになっているわけではないが、

継続できるようになった自分に出会ってみたいという気持ちが強い。

 

 

 

だから、自分で実体験する。継続って素晴らしいということを。

 

 

 

だから、この1年はやろうと思う。とにかくやろうと思う。

 

 

継続が運んでくれる効果を感じてみたい。

たった1年間の継続かもしれないが、やろうと思う。やってやろうと思う。

 

私の中で、継続の神はイチローだと思っている。

 

イチローがこんな発言をしている。

小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています」

 

イチローは、それを行動で体現し、世界一の安打数を放っている。

 

 

本当にそうなのか、この1年間で試したい。1年間で変わらないやろという意見もあるかもしれないが、1年間で変わらなかったものはセンスがなかったってことで、あきらめようと思っている。

 

 

 

さー、愚直に前進んでいきましょう。

 

 

2021年が始まり、17日目にして怠けている自分がいたので、自分へのメッセージ10割で書きました(笑)

私にはこのメッセージが届いたのでしょうか?

 

 

 

明日からも素敵な日々を積み重ねていきましょう

ではでは。

 

 

 

今日で阪神淡路大震災から26年が経ちました。私はまだ生まれていませんでしたが、神戸で育ったものとして、1月17日になると何か思うことがあります。

 

 

 

 

 

 

みんな不安の中で生きているというお話

今日は不登校について書いていこうと思います。

 

私の学校を振り返ると、周りに恵まれていたこともあり、学校に行きたくないと思うことはほとんどありませんでした。どっちかというと毎日学校に行くのは、寝ては起きるといったようなものと同じような感覚でした。今日は寝ません、今日はずっと目をつぶっておきますということがないように、学校に行かないという選択肢は自分の中ではなかったように思います。

 

 

なぜ、こんなことを書こうと思ったかというと、2020年の年末に不登校の子どもと会う機会があったので、そのことを踏まえて感じたことを書いていこうと思います。

 

 

そもそも不登校とは何なのか。

 

文部科学省は以下のように定めています。

 

不登校は長期欠席の理由のひとつで、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義されています。(文部科学省より)

 

 

病気や経済的理由以外で年間30日以上の欠席した子どもということになります。

 

 

 

今この年齢・立場になって考えると、学校にいかないという選択は大きな決断のように感じます。

だって、周りの友だちは学校にいってるし、学校にいくのは当たり前みたいな風潮があるなかで、私は学校に行けませんという決断ができるのってすごくないですか!?

 

 

お寿司屋さんに行って、大将に「コーンスープ1つください」と言っているようなものだと思います。その注文が堂々とできるのってすごくないですか!?(これ例えがあっているのかな・・・(笑))

 

 

 

不登校の子どもは、単純に敷かれているレールから外れるという決断をしているということですよね。

 

 

 

 

でも、それって本当に自分の意志なのでしょうか。

 

 

多くの場合は違うと思います。学校がいづらくなって、学校に行けなくなるのだと思います。自分の居場所が感じられなくなったのでしょう。

 

学校に行かないという選択をしたのではなく、学校に行かないという選択をさせられたに近いように感じます。

 

 

親戚の家に行って、長居したくないのと同じ感覚なのだと思います。変に気を遣うし、お互いずっとよそ行きの顔になってるし、いち早く帰りたいと心の中で思っているでしょう。

 

 

そんなことを不登校の子に会って思いました。

 

 

 

当たり前ですが、みんな自分の居場所を求めています。自分が自分でいていい場所を家でも、学校でも、社会でも。それは、すべての人がそうであり、自分を認めてくれる、承認してくれる人、場所が欲しいのだと思います。

 

 

多くの人は、どこか不安をもちながら生きていると思います。私もそうです。

その不安の糸がプチンと切れた時、自己防衛が働き、自分の意志とは裏腹に自分の身を守ろうとするのではないでしょうか。

その不安を受け止めてくれる拠り所があると素敵ですね。

 

 

 

今日から3学期がスタートをします。私が少し緊張しているように、何かしらの不安や緊張をもって学校に来る子どももいると思います。そんな子どもの感情を受け止められるように今日一日過ごしたいと思います。

 

 

とにかく今日は笑顔で過ごそう。笑顔のもつパワーははかりしれない。

 

 

もっと書きたかった時間切れで中途半端だが

おわり

 

 

書くことで余計に緊張感が増したが、今日も素敵な一日にしましょう!

いってらっしゃい!

紅白歌合戦から考える性別

みんさんは2020年の年末はどのように過ごしましたか。

 

 

私は、紅白歌合戦を見て過ごしました。

 

 

今日は、今年の紅白歌合戦の一幕からジェンダーについて深掘っていきたいと思います。

 

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演歌歌手で有名な氷川きよしさんの演出がすごく印象的でした。白の衣装から歌がはじまり、紅の衣装になり、最後はゴールドの衣装へと着がえ、歌い終えました。

 

この演出は私の中で衝撃的でした。紅白歌合戦というのは、紅組と白組に分かれて、点数を競い合う催しものです。そのため、多くの歌手が紅組の人は紅い衣装を、白組の人は白い衣装を着て歌っています。(私の中でのイメージですが)

 

だから、氷川きよしさんの衣装チェンジにはびっくりさせられました。

 

 

なぜびっくりさせられたのかを少し考えてみると

 

紅白歌合戦では、

紅組→女性→紅い衣装

白組→男性→白い衣装

 

という固定概念が私の中で、出来上がっていたからです。これは、NHK紅白歌合戦の歴史の中で築いてきた文化だとも言えます。

でも、この固定概念は大きな問題であり、数年以内に改善される問題であると思います。

 

 

 

性別というものは難しく、性別にはsex(性)とgender(ジェンダー)という捉え方ができます。sexとは、生物学的、生理学的な側面からみた性のことである。一方、genderとは社会的、文化的な側面から見た性のことである。少し分かりづらいが、男らしさや女らしさといったものである。(自分もまだ勉強不足なので勉強します。)

 

まさに、紅白歌合戦で感じた固定概念はgennderと言えるのではないだろうか。

 

 

 

では、ここで考えたいのは

そもそも紅白歌合戦は性別でチームを分ける必要があるのだろうか。

 

 

 

これは、氷川きよしんの行動から私が汲み取ったメッセージである。氷川さんが実際にどう思われているかは存じ上げないが、男性、女性でチームを分ける必要があるのだろうか。今、この時代に、それに意味があるのだろうか。

 

 

これは、私が2020年最後に感じた強烈なメッセージです。

 

 

 

今日、性のあり方は非常に多様化している。それは小学校の保健の授業でも扱う。

私もまだまだ勉強不足のこともあるが、普段の生活からすごく気を張って言葉を選んだり、行動している。小学校高学年は思春期に差し掛かり、少しずつ「性」について敏感になってきている。そんな子どもと関わる仕事だからこそ、注意を払うようにしている。

だから、半分に分ける時も男女で分かれましょうとかという指示はしないようにしている。出席番号で分けたり、座席で分けたりする。

 

 

 

紅白歌合戦に白組で出ることへ違和感を感じている方もいらっしゃるかもしれない。紅白に分かれて点数を競うという枠組み自体はおもしろいと思うが、男性、女性で分けるというのは今一度考えなおしてもらいたい。

 

 

紅白歌合戦は年末を締めくくるお祭りだ。年末にみんなが楽しめるそんなお祭りであってほしい。

 

 

おわり。

 

 

今日も素敵な一日にしましょう!いってらっしゃい!

「あきらめない」が感動を生むというお話

みなさん、スラムダンクというバスケ漫画を読んだことがありますか。

 

スラムダンクの中に

 

「あきらめたらそこで試合終了ですよ?」

 

 

という言葉があります。ある監督がもう負けたと試合をあきらめかけていた選手に対しての発言です。

スラムダンクファンからは名言として語り継がれています。

 

 

スラムダンクの話をしてきたが、そんなことを感じる一幕が2021年の年始からありました。

 

 

そう、今年の箱根駅伝です。

 

 

私は毎年、箱根駅伝を見るのですが、今年の箱根駅伝もまた熱い戦いでした。

特に、10区での創価大学駒澤大学の優勝争いが壮絶でした。

 

ここでは簡単に書くので、詳しく知りたい人はググってください。

 

9区→10区の襷渡しでは、創価大学が1位、駒澤大学が3分19秒差の2位でした。この3分19秒という記録がどれぐらいの差かというと、1㎞以上の差です。距離で言われても、まだピンとこないと思います。

もう少しわかりやすく言うと、箱根駅伝は往復で行いますので、往路と復路があります。10区は復路なので、往路で10区と同区間の1区のタイム差を見てみましょう。1月2日の1区のタイムを見てみると、1区で1位だった法政大学と1区で20位だった山梨学院大学の差は、2分4秒です。

3分19秒と言うと、相当な差があるのだということがわります。だから、9区→10区の襷渡しを見た人は、誰もが創価大学が優勝するなと思ったでしょう。私も「今年の優勝は創価大学か、初優勝になるな」と思ていました。

 

そう。優勝は決まったと、あきらめムードが・・・

 

 

しかもそれだけではありません。

8区までは駒澤大学の追い上げムードで、1位の創価大学とのタイム差も1分30秒ぐらいにまで縮めて、9区と10区で逆転できるという押せ押せムードでした。しかし、創価大学の9区の選手が区間新記録に迫る爽快な走りを見せて、先ほど書いたように2位である駒澤大学との差を3分19秒にまで広げたのです。そういうこともあり、あきらめムードがプンプンと漂っていました。

 

 

 

しかし

 

 

 

駒澤大学の選手は誰一人とあきらめていませんでした!!!!!!!!

 

 

着実に、少しずつ1位とのタイム差を縮めていくのでした。

 

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誰が予想していましたか?この展開を。残り10㎞の地点ではまだ、1分57秒の差がありました。解説の人も、「少しつまっていますね」程度で逆転なんて予想もしていなかったでしょう。残りの5㎞地点から、これはもしや大逆転があるぞと、カメラも実況、見ている私もソワソワとしてきました。

そして、残り2㎞ぐらいの地点で駒澤大学創価大学の後ろにつき、一気に抜き去りました。そして、総合優勝は駒澤大学。ここ数年間でも稀にみる大逆転となりました。

 

 

正月から熱い戦いを見せてもらって本当に感動しました。

 

 

 

誰もが創価大学が優勝すると思っていた。でも選手はあきらめていなかった。選手があきらめていたら絶対にこの逆転劇は起こらなかったでしょう。そんな魂の走りに感動させらた1日だった。改めて、あきらめないことの大切さを感じた。

 

 

 

本当にあきらめないことって大切だと思う。でも、この“あきらめない”って簡単にできることではない。なぜなら、あきらめなかったら成功する、できるようになる、逆転するとは限らないからである。一方で"あきらめる"ということは簡単にできる。やめてしまえばいいし、考えなかったらいいのである。

しかし、あきらめなかったら成功もないし、できるようにならないし、逆転もない。それは確実に言える。チャレンジなしに人間は成長できるほど、人間はすごくない。できないことはできないままだし、わからないことはわからないままである。

 

あきらめない気持ちをもつことってなかなかに難しい。難しいからこそ、この気持ちを一年間大切にもちつづけて、いきたい。"あきらめない"ことって、成功や逆転に絶対つながるとは限らないが、間違いなく、そこには近づいていると思う。

それに、あきらめない姿が、周りに感動を与えていると思う。私は、昨日の箱根駅伝で感動をもらった。

 

 

あきらめない。

根性論ぽくなったが、今年はそういう一年にしたいと思う。

 

 

だらだらと書いてしまったが、有意義な正月だった! 

楽しかった。感動をありがとう。

 

 

おわり。

素敵な一日のはじまりだ!いってらっしゃい!!

 

 

目標を立てることについてのお話

誰を予想だにしていない2020年が終わり、2021年がスタートしました。

2021年が始まったみなさんの心境はいかがでしょうか。

 

ついに始まった。

もう2021年か。

今年も頑張るぞと。

 

 

色々思うことがあると思います。

私は2021年いつになく、ワクワクした気持ちでスタートをきることができました。

それは年末にしていた考え事が、自分の中ですっきりしたからです。何を考えていたかは、また気が向いたら書きます。

 

 

今日は何について話すかというと、目標についてです。

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新しい年になり、今年の目標を立てた人も多いのではないでしょうか。私も今年の目標をいくつか立てました。

今日は、その目標をなぜ立てるのかについて書いていきます。

 

 

 

みなさんはなぜ目標を立てるのでしょうか?

 

 

 

 

明確に答えがありますか。

私の答えとしては、迷子にならないためです。

 

 

 

どこかに行きたいとなった時に目的地がないままに出発することがありますか。ないですよね。ここへ行きたいから、バスで行こう、車で行こうと手段が決まります。とにかく目的地がなければ出発できません。

たまに、とにかく歩いてみようと歩きはじめますが、目的地がないまま(どこまで歩くかわからないまま)だと途方にくれますよね。人間は怠け者なので(特に私は)、現状維持を好みます。とにかく歩いてみようと威勢よく出発しても、ぐるっと周りを一周して、結局は出発地点に戻ってきます。なんせ現状維持は心地よいですから。

 

しかし、この現状維持では全く成長しません。

 

では、どうすればよいか。

目標を立てる(ここで言えば目的地を決める)ことにあると思います。

 

目標を立てることにより、自分が行きたい方角、距離が定まり迷子にならなくて済みます。また、どこまで行ったらいいかが明確だと、目的地まで足を運ぶモチベーションにもつながります。

 

 

少し話が脱線しますが、私が高校の野球部だった頃に一番嫌いだった練習が全員がエラーせずにアウトになるまで終わりません的な練習です。また、これは誰かがエラーするたびに全員でベースランニングを一周しなければなりません。

この終わりが見えない練習が何より一番嫌いでした。

 

 

とにかく、どこまで行ったらよいかというゴールがなければ、行動をなかなか継続することが難しく、行動を起こしたいという欲にもつながりません。なんせ、人間は怠け者なので。目標があると、とにかく自分が向かう方向は決まります。行動を起こすハードルや継続の難易度は低くなります。

 

 

最後に、目標があると、やったことに対し振り返ることができます。

むやみやたらに目の前のことを頑張ったとします。それはそれですごく大切なことですが、振り返りをするという観点からすれば、むやみやたらにやった行動に対しては振り返りしにくくなります。だから目標は必須となります。

目標に向かって行動して、目標が達成されたのかを振り返ります。目標が達成された時には、自分を存分にほめます。目標が達成されなかった時は、なぜ達成されなかったのかを考えます。目標達成の方法がよくなかったのか、目標の立て方(目的地の方角や距離)がよくなかったのかを探ります。そうすることで、次目標を立てる時、目標へ向かって行動する時へのヒントとなります。

そうすることで、より目的地に早く、簡単に、正確に、着くことができ、自ずと、迷子になることも減ってくるでしょう。

 

 

 

ということで、今日は目標をなぜ立てるのかということについて言葉にしてみました。

私は今年の目標として、色々な方角に色々な距離で目的地(目標)を設定しました。

2021年12月31日に、目標達成できたのかと振り返ることができたら、嬉しいなと思

います。そのためにも、行動あるのみ。愚直に行動していこうと思います。

 

 

継続が苦手な私が、どこまで自分に向き合えるか。

今年は、とにかくやります。しんどくても、つらくても、とにかくやる。己の成長のために。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

他人を動かすためには?

はい。今日は結論から。

 

 

 

他人を動かすことなんで不可能です。

 

 

そうなんです。当たり前なんです。

自分でも色んな誘惑があってコントロールできないのに、他人を動かすなんてできないです。今日は勉強しよう!と思っていても、ついスマホに手が伸びて、Youtubeを開いてしまうのが人間なんです。自分でさえ、うまくコントロールできないのに他人なんか動かすことができないんです。

 

 

その前提に立ったうえで、他人を動かすためにはということについて話していく。また、今日は話で他人を動かすということについて話す。

 

 

他人を動かすを考えると難しくなるので、自分はどんな時に他人に動かせるかを考える。

例えば、友達にブラックサンダーというお菓子を紹介されて、一口もらったとする。その時のおいしさに感動した。そうしたら、友達と解散したあとコンビニ行ってブラックサンダーを買うだろう。

 

これは、初めて私がブラックサンダーに出会ったときの話だ。

 

このように感情が揺さぶられた瞬間に行動を起こすのである。

セールの時とかは、感情が特に揺さぶられやすい。「えっ、これがこの値段!?」となれば、そんなに欲しくない商品でも気になって仕方がなくなり、買ってしまうのである。

 

 

他にも、「えっ、かっこいい」、「えっ、やさしい」となってしまうとデートに行ってしまう。’(そんな単純ではないが)

 

 

とにかく感情が揺さぶられた時に、行動を起こす。

だから、どれだけ論理的に話そうが感情が揺さぶられなかったら行動まではつながらない。

 

他人を動かしたければ感情を揺さぶらなければならない。そのために、相手の感情へアプローチしないといけない。※なんのエビデンスもないので感覚的に話してるだけです。

 

 

子どもに対してはどうなんだろう。子どもはその後の価値づけも大切そう。価値づけは、行動そのものというより、行動への継続に対する意味合いの方が強いかな。

 

 

今度、子どもに話したいことがあるので感情に働きかけるように話してみたいと思う。その準備を日曜日半日かけてしていた。時間かかりすぎ・・・

でも、いい準備ができたので楽しみ。また、どんな話をしたのか、話をしての結果も綴っていきたい。

 

 

 

おわり。

 

HSPがブラマヨのネタにつながるというお話

みなさん、HSPという言葉を聞いたことがあるだろうか。

 

私は心理学をかじっていたから少しだけわかるのだが、今日はそんなHSPの話がブラックマヨネーズのネタにつながるという話をする。

 

予め断っとくが、HSPのことをうまく説明できません。詳しく知りたい方はGoogle先生に聞いてみてください。

 

簡単にだけ説明すると。HSPとはHighly Sensitive Personの略であり、感覚が非常に敏感で、周りのモノやヒトに過敏に反応してしまう特性をもっている人のことである。

HSP診断も簡単にできるので、「HSP 診断」でググってほしい。おおよそ20%の人はあてはまると言われているので、もしかしたらあたなもそうかもしれない。

 

 

このHSPがどうブラマヨのネタにつながるのかというと、Youtubeのこのネタを見てほしい。

 


もっとったらどないする?

 

 

この漫才を見てほしい。天才的に面白い。

 

これは、まさにHSPの特性である。人の心を思いすぎるあまり自分が疲れてしまうのである。

 

HSPってどんなもので、ブラマヨって天才的に面白いということはわかってもらったと思う。

そこで、自分が何が言いたいかというと。HSPという”知識”をブラマヨのネタという”情報”につなげたということである。

 

これってめちゃくちゃ高度なことで、難しいことなんです。でも、学びの過程において、すごく大切なことだと思うんです。

 

自分の中にある知識を目の前の情報と結び付けるということは、学校の場面でよくあることである。

 

例えば、

通分の勉強をしているときに、分母と分子を同じ数をかけるという作業があります。その時に、「あっ、これ前に習った比例の考え方と一緒やん」となると頭なの中での知識と目の前に情報がつながる瞬間である。これは知識と知識を断片的に頭の中に入れるのではなく、連続した知識となるのである。確実に学びは深まっていくことになる。

 

特に、小学校で習うことは連続である。これが連続している。

でも、子どもの思考をつなげようとするのはずごく難しい。それこそが教師がファシリテートすることなんでしょうか。難しいですね。

 

 

 

この記事を2週間前に書きはじめて、ずっとほたらかしていたものを今更書いたので。。。何を書きたかったのもよくわかりませんが、とりあえず投稿しておきます(笑)