とうふ先生のブログ

不安の正体とは何か?不安をなくすのは不可能

最近,自分にとってビッグニュースがありまして・・・

 

4月からの勤務地が決まりました!!!!(パチパチパチ)

 

新天地に移動することになり,知らない土地で働くことになります。そこに対する不安はもちろんあるが,わくわくが勝っているので楽しみです。(今は)

 

 

また,僕の友達も同じように4月からの勤務地が決まりました。

しかし,その子はこれから不安に押しつぶされそうになり,涙をこぼしていた。(希望の配属と違ったということもあり)

 

 

そのことから,自分はなぜ不安をあまり感じていないのかということを今日は深堀っていきたいと思います。

 

 

それではいきまーーしょいっ!!

 

 

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不安とは何か?

 

まず,不安とは何なのでしょうか。

 

大学時代に色々あって不安がいっぱいだった時に,大学の教授にこんなことを言われました。

 

「不安は,不確定だから感じるのだと。」

 

 

この言葉は,かなりの衝撃だったので今でも覚えています。

よくよく考えてみれば,そうです。

 

受験の時⇒合格するかわからないから不安

 

告白⇒付き合えるかわからないから不安

 

新しいチャレンジ⇒成功するかどうかわからないから不安

 

 

つまり,確定したことには不安を覚えないのです。

受験で合格だとわかったら嬉しいですし,不合格という事がわかったら不安ではなく後悔や悲しみがこみ上げてくるのではないでしょうか。

 

 

不安は未来に対する感情,怒りは今に対する感情,悲しみは過去に対する感情

といったことを,何かの本で読みましたが(何かは忘れました...),まさにその通りだなと思い出しのでメモとして記しておきます。

 

と不安は未来に対する感情で,不確定なことに感じるものです。

 

では,勤務地が決まったにもかかわらず,僕の友達は不安を強く感じたのでしょうか。

 

性格的な問題はあると思いますが,不安というものを深掘ると不安が生まれる過程にあると考えられます。

 

例えば,「会話」に不安を感じる人は少ないと思います。

 

 

いやいや,感じるよっていう人がいるかもしれませんが,

 

 

たぶん違うんです。会話自体にではなく,どう思われるのかに不安を感じているのです。

 

「こいつ,おもんないな」って思われたらどうしよう

会話が続かんかったらどうしよう

失礼なことを言って嫌われたらどうしよう

とかとか,会話自体ではなく,自分の妄想に不安を覚えているのです。

 

不安は,その行為や出来事に不安が生まれるのではなく,自分の考えに不安が生まれるのです。

 

 

そう思うと,僕の友達は,勤務地が決まったことで,より自分の妄想が鮮明になり不安を強く感じたのでしょう。

 

 

 

不安とどう付き合うか?

そもそも,不安という感情はネガティブな感情であることは確かです。では,まったく必要ないのでしょうか。

 

 

それは,NOでしょう。

 

不安があることで,力が発揮できることがあるからです。受験で失敗したくないから,勉強を頑張ろうと思ったことは多くの人があると思います。

 

それでは,不安とどう付き合うのがいいのでしょうか。

なぜ,僕が不安をあまり感じていないのかを考えると・・・

 

 

 

開き直っているから

 

 

ただの単純野郎なんで(笑)

でも,開き直りって大切だと思います。

 

これまでの人生で,不安がある時に行動を起こしたことを思い出してほしいんですが,そういう時ってだいたい開き直っていませんか。

 

好きな人に告白するとき,「まぁいいや,どうにでもなれ」と思って,好きな人を呼び出しませんか。

人の前で話すとき,「10分経てば終わるんや」と思って,ステージにあがりませんか。

 

 

この開き直りって最強ですよ。

だって,不確定のものが,自分の妄想の中で成功しても失敗してもOKになるってことなんで。ある意味,不確定なものが確定しちゃってるんですよ。

 

開き直りって最強じゃないですか?(笑)

 

 

 

じゃあ,どう開き直るねんってことなんですが・・・

 

 

うん。これは難しい。

 

 

一番は色々な経験するということです。成功体験をあれば,この前成功したから大丈夫と不安でなく安心を感じます。

だから,経験ってすごく大切!!!

 

 

でも,今からそんな色んな事経験する時間ないわって話ですよね・・・

 

 

そういう人は,不安を分解するといいと思います。自分のどんな妄想に不安をもっているかを考えるのです。

「新天地に行って,新しい友達ができないじゃないか」

ということに,不安を感じているという事がわかれば,これまででどんな小さな経験でもいいので新天地に行って友達ができた経験に紐づけるのです。

 

 

ここでのポイントは,どんな小さな経験でもというところです。経験と紐づけると不安は和らぐでしょう。

 

 

でも,あくまでも不安をなくすと考えるのではなく,不安とうまく付き合うって考えるのが大切です。

不安という感情を大切にして,これからも過ごしたいですねー!

 

 

【今日の余談】

生まれてこの方,海の近くか,海に囲まれてしか住んでこなかったのですが,4月からは山に囲まれて住むことになりました。

 

山の生活も楽しそう~!海が恋しくなるのかな。

卒業式の意味を改めて考える。卒業式はいる?練習は必要?

今日は,住んでいる中学校のことについて思うことがあったので記事にします。

 

その中学校では,全校生徒も少ないことから在校生も参加しますが,時間を短くして短縮版で卒業式が行われる予定です。

 

まぁこのご時世ですから,卒業式があるだけで学校がなんとかしてくれたんだなとは思います。子どもにとっては,なんとか卒業式だけでもと思っていたでしょうから嬉しいでしょう。

 

 

で,僕が何に引っかかったかと言いますと,

 

 

 

卒業式の前日に,卒業式の予行をするのです。

 

 

 

 

ん?

 

 

少し引っかかりますよね。

多くの学校がそうなんですかね?(全然知りません)

 

新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために休校しているのに,卒業式の予行はするんですよ?そんなに練習しないと卒業式はできないんですかね?意味あるんですかね?

 

 

子どもの頃から,こんな暑いのに無駄に運動会の練習(特に閉会式の練習)をするのなんでやろうって思っていたタチなので・・なんかこういうのも引っかかってしまいます(笑)

 

 

今日は,卒業式とは何なのかということについて深堀していきたいと思います。

それではいきまーーしょいっ!!!

 

 

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卒業式にはどんな意味があるのか?

卒業式というのは,実は学校の「特別活動」の一つとして行われるのです。

 

 

うん?特別活動なんかあったけ?

 

と思われている方もいるかもしれませんが,授業以外の学校活動はほとんど特別活動です。学級活動,クラブ活動,生徒会活動,学校行事などが特別活動に含まれます。

 

学校行事は,儀式的行事,文化的行事,健康安全・体育的行事,旅行・集団宿泊的行事,勤労生産・奉仕的行事の5つに分類されます。卒業式は,儀式的行事に含まれます。

 

では,その儀式的行事のねらいはどのように定められているかと言いますと

 

 生徒の学校生活に一つの転機を与え,生徒が相互に祝い合い励まし合って喜びを共にし,決意も新たに新しい生活への希望や意欲をもてるような動機付けを行い,学校,社会,国家などへの所属感を深めるとともに,厳かな機会を通して集団の場における規律,気品のある態度を育てる。
 儀式的行事においては,例えば次のとおり資質・能力を育成することが考えられる。
○ 儀式的行事の意義や,その場にふさわしい参加の仕方について理解し,厳粛な場における儀礼やマナー等の規律や気品のある行動の仕方などを身に付けるようにする。
○ 学校生活の節目の場において先を見通したり,これまでの生活を振り
返ったりしながら,新たな生活への自覚を高め,気品ある行動をとること
ができるようにする。
○ 厳粛で清新な気分を味わい,行事を節目としてこれまでの生活を振り返り,新たな生活への希望や意欲につなげるようとする態度を養う。*1

 

と細かく,学習指導要領に定められています。これは儀式的行事全体でのねらいですので,卒業式ですべてのねらいを達成する必要がありませんが,こういうことを目的として行われなければならないのです。

 

 

このねらいを見ると,卒業式では,儀礼やマナーの規律などを身に付けると同時に,これまでを振り返ったり,新たな生活への期待を持てることが大切だということです。

 

卒業式がただ卒業証書を渡すだけの式となってしまっては意味がないという事がわかります。つまり,とりあえずの形式的な式ではまったくもって意味がないのです。

 

こうやって卒業式というものを深堀ると,子どもが意欲的に参加して,未来への希望をもち,子どもが楽しんでいることが大切なのだという事を深く考えさせられました。

 

今回,色々な形で卒業式が行われようとしていますが,形だけやっていますといった卒業式がされるのであれば,本当に意味がないし,子どもたちがかわいそうです。

それぐらいなら,コロナの感染が落ち着いたころに,プレイバック卒業式をしてみてはいいのではないかと思います。

 

 

卒業式の練習は本当に必要なのか?

では,卒業式の練習は必要なのでしょうか。

 

僕が考えるに必要だと思います。

 

 

いや,必要なんかいと突っ込まれそうですが・・・

 

 

 

僕自身の卒業式を振り返ると,通っていた中学では何度も卒業式の練習をしたのを覚えています。ある全体練習の際に,返事が小さいからやり直しとか言って,全体練習終わった後に僕のクラスだけが居残りをして練習させられました。

それだけ毎日練習していると悪ふざけしたくなるのが中学生。友達が返事をする際に「やぁー」とふざけて,生徒は大爆笑,先生はブチギレ(笑)

この事件は今でも鮮明ぶ覚えています。

 

 

と話しはそれましたが,

 

何か目的をもって卒業式の練習をするのには意味があると思いますが,やらされている練習はまったく意味がないと思うので,練習はしなくてもいいと思います。

 

しかし,多くの学校での卒業式の練習は,先生が指示を出して,生徒が動くといった感じだと思います。子どもはいやいや動きますし,やらされている感満載です。だからあんな事件が起きるんですよね・・・

 

前述したとおり,とにかく卒業式にも目的があります。その目的を明確にすること。そして,その卒業式の目的を子どもたちとも共通認識をしておく。そのことが大切ではないでしょうか。

 

卒業式でまったく何をするかのかわからない状態では,子どもは意欲的に取り組みづらいし,主体的に行動ができません。だから練習をして,子どもたちで卒業式をつくっていくことができたらおもしろいのではないでしょうか。

 

 

また今回突然の休校になったことで,多くの学校が練習なしで本番の卒業式を迎えるのではないでしょうか。

 卒業式を終えた学校からは,「練習なしでもできた」という声を聞いています。意外と練習がなくてもできるという事が証明されたのではないのでしょうか。

今回は,練習もしてないからといった危機感から,子どもがいつも以上の力を発揮したのかもしれませんが,子どもはそれだけの力をもっています。

 

 

目的もなく,ひたすらと練習をする根性論や感情論は必要ないです。目的をもって取り組める卒業式の練習となることが大切です。

教育者として,どんな時も子どもの成長を考えられる人でありたいです。

 

 

【今日の余談】

今日,百均に買い物に行ったら,中学生ぐらいの男の子が半袖でいました。

たしかに今日は暑かったですが,半袖は寒くないと心の中で思っていました。

 

明日はまた気温が下がるみたいなので,みなさん体調にはお気をつけください!

 

 

*1:学習指導要領

学童の今。子どもの生活環境が悲惨だった

現在,多くの学校が休校をしてはいますが,学童保育は開いているという状況です。

 

実は学童保育でアルバイトをしていまして,学校が休校になってから初めてアルバイトに行ったのですが,学童の環境が悲惨だったので記事にしたいと思います。

 

これは,あくまで僕が働いている学童がそうだということだけはご理解ください。

 

 

 

 

 

学童の何が悲惨なのか?

まずは,僕が働ていてる学童の現状をお伝えします。

 

学童の広さは160㎡ぐらいです。(数字は僕の感覚です)

その広さの中に,児童用トイレ,職員用トイレ,手洗い場,キッチン,物入があるので,それを除いた子どもが過ごすスペースでいえば130㎡ぐらいです。

 

130㎡ってどれぐらいやねんって話ですが,10m×13mぐらいです(笑)

 

 

それは冗談として,

 

 

 

小学校の教室を2個分ぐらいです。

この例えがわかりやすいかは,わかりませんが・・・

 

その130㎡におもちゃや本があったり,荷物を入れるロッカーがありと,子どもの過ごすスペースは限られています。

それに加えて,子どもの座る長机が20脚あります。

 

 

「20脚!?!?!?」

 

 

そうなんです。あのよく見る180cm×45cmの長机が20脚も常時あるんです。

 

 

 

んで,ここからです。そこに何人の子どもが過ごしているのかですが,

 

 

普段は60人ぐらいが過ごしています。これでも単純に多すぎですよね...

 

教室の2個分の大きさに子どもが60人いて,そこで遊んでいるんですよ。本当にハチャメチャです・・・(笑)

 

 

 

で,今コロナが流行っているので,クラスター感染を避けるために休校となっっているこのご時世にということを踏まえて聞いてほしいんですが,

 

 

 

 

 

40人~50人の子どもが過ごしています。

 

 

 

「えぇぇぇぇぇぇぇ」

 

 

 

という感じですよね。

多少の変動はありますが,40人以上の子どもが毎日学童で過ごしています。

 

感染防止のため,子ども同士の感覚を1メートル以上離すことなどを文部科学省厚生労働省が言っていますが,そんなことは不可能です。

単純に,そんなスペースがないんですから。勉強の時間が午前中に45分×2あるのですが,長机に3人が座るという現状です。距離にして,横の人と50cm,対面の人と90cmです。

遊ぶときは,子ども同士なのでプロレスごっこなどをよくしていますし,ままごと,レゴブロック,トランプ,本などのおもちゃ道具は消毒されていません。

 

 

 

 

素人の僕が言わしてもらっても,普段の学校生活より環境は劣悪です。

 

学童としても,アルコール消毒の配置やこまめな換気はしていますが,これは学校でもできることであり,学校の方が安全ではないでしょうかというのが僕の感想です。

 

この現状をどう思うか?

保護者がどう思っているのかは知りませんが,安心できる環境だからといって,学童に子どもを預けてはいないと思います。

感染防止の環境は良くないし,お弁当を作らないといけないし,というようなおもりがあるけど,多くの親が学童を利用しなければならないというのが現状なんです。

 

 

この現状から僕が思ったことは2つ

 

見て見ぬふりする人にはなりたくない

本当に疑問なのが,教育委員会や国はこの現状をどう見ているのかということ。

 

 

 見て見ぬふりをしているのでしょう。

さすがに,この現状を知らないという事はないと思うので,見ようとしてないのでしょう。

 

だって,感染防止のための休校なんですよね。感染防ぐために集団で集まるのは危ないって判断したんですよね。

どう見ても,学校より劣悪な環境で子どもは過ごしていますよ。

ここまでトップと現場が乖離してたら笑っちゃいますよね・・・

 

もちろん,他に考慮しなければならないというようなことや,役所的にどうしようもないといったことがあるとは思うが,何とかならないのかと思いました。

 

やっぱり一人の人として,見て見ぬふりは絶対にしたくないと改めて感じさせられました。

子どもが,今の現状を理解しているとは思いませんが,子どもが知ったら「私たちは何で学童に来ているの?」となるでしょう。私たちの周りの大人は,私たちを守ってくれないのともなるでしょう。 

 

どんな状況においても,見て見ぬふりをするのではなく,何かしらのアクションを起こせる人でありたいです。

 

勇気を出して声をあげれる人になろう

 この現状に対して,誰か声をあげる人はいないんでしょうか?

あげているのかもしれませんが・・・

学校の先生も,たまに学童へ子どもの様子を見に来てくれるので知っているんですが,どう思っているんでしょう?

 

 

まぁ,これの対応策をだせと言われたら難しい部分ではあるんですが・・・でも,こういうピンチの状況にこそアクションを起こせる人になりたいです

 

 

私の友人がいつも「必要なのは小さな勇気と小さな行動」と口癖のように言っていました。

本当にそうです。別に大きなことはしなくていいんです。「この現状どうにかしないとやばいよな」と話しかけるだけでいいんです。その小さな勇気を出して発言した小さな行動が,後の大きな行動を呼ぶのです。話しかけただけでは,ダメなこともありますがw

 

僕も,「小さな勇気と小さな行動」を意識して,これからも頑張っていきたいと思います。

 

 

 

【今日の余談】

僕は野球をやっていまして,

最近,僕の送別試合が予定されていたのですが,雨で中止になりました。。。

 

送別試合なのに・・・と思っていたら,新型コロナウイルスの影響で次の週の予定がなくなり,リベンジ送別試合を次の週にしてもらえることになりました。晴れてくれ!!!!

 

無知の無知が一番恐ろしいということを知ってほしい(「斉藤ひでみ先生×内田良先生の対談」での学び)

今日は,3月6日にZOOMで行われた「斉藤ひでみ先生×内田良先生の対談」での学びの記事となります。

 

前回は,「丸山瞬先生×内田良先生の対談」の学びの記事を書いています。

⇩まだ見てない方は,こちらの記事を是非ご覧ください☆

 

pama-blog.hatenablog.com

 

 

対談内容もふれながら,今日の学びについて書いていきます。

それではいきまーーしょいっ!!!

 

 

 

 

 

斉藤ひでみ先生と内田良先生ってどんな人?

簡単にご紹介します。

 

斉藤ひでみ先生(斉藤ひでみ/現職教員 (@kimamanigo0815) | Twitter

給特法の改定や変形労働時間制の撤回などを求める運動をされている現役の公立高校の先生。(給特法や変形労働制については,後に触れます。)

 ⇩3月6日に本も出版されたみたいです。

 

内田良先生(@RyoUchida_RIRIS内田良/学校リスク研究所

 学校リスクの事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっている名古屋大学准教授です。

⇩Yahooニュースで,多くの記事を書かれています。

 

 

どんな対談だったの?

3月6日に内田良/学校リスク研究所の緊急スピンオフ企画で,ZOOMというアプリケーションを使い行われました。

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詳しくは,内田良/学校リスク研究所を覗いてみてください!

 

 

ということで,どんなお話が展開されたのかといいますと,

 

 

斉藤ひでみ先生が,これまでやられてきた給特法の改定や変形労働時間制の撤廃とはそもそも何なのか,これまでどのような運動をされてきたのかについてのお話しされていました。

 

ここでは,教員の働き方を知ってもらいたいので給特法と変形労働時間制について書きます。少々マニアックな話になりますが,お付き合いください。

 

給特法とは?

まずはじめて,給特法とは何なのかというお話なのですが,

給特法とは,公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法という法律の略語です。

 

その法律では,何が定められているかというと,

教員の働き方は特殊なので,あらかじめ月額給与の4%を「教職調整額」として支給する代わりに,時間外勤務手当や休日勤務手当は支給されませんといったことです。(すごく簡単に言ってます)

 

 

もう少し具体的にお話しします。

例えば,A先生の月の給料が20万円だとします。

そうすると,20万×4%=8000円となり

8000円は教職調整額として,給料に上乗せされているのです。つまり,A先生の月の給料は20万円ではなく,20万円8000円もらっているのです。

また,労働基準法で1日8時間以内,1週40時間以内と定められていますが,それを超えた労働は時間外の労働となり1.25倍~1.5倍の賃金(残業代)を支給するように定められています。

しかし,先生は教職調整額としてあらかじめ上乗せしているから,時間外勤務の手当(残業代)はでないということです。

A先生が残業をまったくしなくても,10時間しようが,100時間しようが残業代として支払われるのは8000円ということなのです。

 

 

 

「えぇぇぇぇぇぇぇ」

 

って感じですよね・・・僕もこれを知った時にはびっくりしました。

それは「教員はブラックだ」と言われますよね...

 

教員という仕事は,確かに終わりがないはでの難しい部分ではあるかと思うんですが,なんとかならんかねとは思ってます。

 

ちなみに4%という数字は,昭和41年の教員の残業時間をもとに決められたものが,今も変わらず残っているらしいです。

今って令和ですよね?教員の残業時間はあきらかに増えているにもかかわらず,4%という数字は50年以上も変わっていないという事実。学校教育の変わらなささは恐ろしい。。。

 

変形労働時間制とは?

これがまた難しい制度でして・・・。本当に簡単に説明します(専門家が見たら違うといわれると思うw)

 

先ほど述べたように,労働基準法により1日8時間以内,1週40時間以内と定めらています。でも,忙しい時期には1日8時間以内,1週40時間以内という規則が守れないので,忙しくない時期とで調整しましょうっていう制度です。

 

例えば,忙しい時期は週48時間働いているのであれば,忙しくない時期は40時間働くのではなく,週32時間にして,忙しい時期に残業した分,忙しくない時期は労働時間短くしましょうといった制度です。

 

これを学校で当てはめると,授業期間(春休みや夏休み以外の期間)は忙しいので,夏休みや春休みは早く帰りましょうってことです。

 

 

 

なかなかいい制度じゃないって思っている方もいるかもしれませんが,

 

 

これは年間を通して調整しているだけなので,結局忙しい時期は変わらず忙しいのです。それでは教育の質もあがりませんし,教員が健康ではないと子どもにも影響します。

あと,教員の多くは夏休みなどの授業がない期間に年給を消費します。しかし,変形労働時間制が採用されると,夏休みがそもそも休みになり,年給が消費できないという問題も発生します。

 

 

 

と少しマニアックな話をしましたが,意外と知られていなかったことではないでしょうか。そういったことに問題意識をもたれて,斉藤ひでみ先生は運動をされています。

 

今日の学びは?

で,今日の学びは何かというお話になるのですが

 

視聴者からきた質問への斉藤ひでみ先生の回答からの学びとなります。

 

視聴者

「現在,教員を目指している大学生です。給特法や変形労働時間制のお話を聞いていると,この先の教員はどうなるんですか?」

 

 

斉藤ひでみ先生

 「大丈夫です。教員の未来は明るいよ。今はもしかしたら,一番底かもしれないけど,これから上がっていくよ。だって,この対談を通じて,これから教員になるとしている大学生や現教員の人が今の現状を知れたから。」

 

 

斉藤ひでみ先生が答えられている際の,眼差しには凄まじいものがありました。(語彙力・・)本当に感動させられました。

 

 

で,僕がここで思ったのが知らないことの恐ろしさ。

教員を目指そうとしている大学生が,給特法や変形労働時間制を知らなかったという事です。

 

質問された方が何年後に教員になるのかは知りませんが,就職しようとしているとこの給料形態や労働形態を知らないんですよ?

 

ちょっと恐ろくないですか。

 

でも思い返せば,大学ではほとんどそういうことを学びませんでした。大学生だから自分で学べって話ですが。

たぶん多くの教員を目指す大学生は,ここで書いたことを知らないでしょう。

 

 

自分が知らないということも知らない,つまり無知の無知だなと思いました。それが一番恐ろしい。

 

今後,情報社会の発展やグローバル化で急激に社会が変わっていきます。極端かもしれませんが,昨日の当たり前が,今日の当たり前ではなくなってきます。そんな世の中だからこそ,せめて自分の身の回りのことにはアンテナをはり,「?」をもって過ごさなければなりません。そして,自分は知らないんだということを自覚することが大切です。

 

 知らないと自覚すれば,知ればいいんです。インターネットで調べてもいい,友達に聞いてもいい,体験してみてもいい,とにかく知らなければ知ろう行動すればいいのです。

それが知的好奇心からの行動でなくてもいいと思います。危機感からの行動でも,勧められたからいやいや行動しても,知らなかったんだということを知れることにすごい意味があると思います。

 

「そういうものだから」と決めつけて,

自分が知らないことも知らない,また知ろうとしないことこそが一番恐ろしいです。

 

 

「知れたのだから,これから変われるよ」という斉藤ひでみ先生の思いで締めましょう。では,また次の記事で!

 

 

 

【今日の余談】

昨日は,初めて??フォアグラを食べました。

 

感想としては・・・うん。って感じでした。

 まだまだお子ちゃま舌でした。ちゃんちゃん。